ｋiss me 1
ためらいはなかった。
キラを倒すことで心も体も一杯で、まるで正確な戦闘システムのように、自分のすべてが動いた。
そうして壊したのは、何よりも大切なもの。
俺の、すべて。
「作戦は成功したんでしょう？なんでそんなカオしてんですか」
いつものようにシンに突っかかられて、アスランは苦笑した。
もともと感情が表に出ない方だ。だからわからないと思っていたのに。
「いや・・・よくやったよ。お前」
地球軍基地の攻略は、予想よりもずっと簡単に終わった。
主に、シンの働きだ。
とっさに、彼に右翼攻撃の支持を出したのはアスランだが、珍しく一発で命令を聞いたシンが、そこで通常ならばありえない戦果を上げたのだ。
的確にコックピットを狙ったバルカン。艦橋に叩き込まれた対艦刀。
効率的な攻撃、効率的な破壊、効率的な・・・殺戮。
しかし、それが仕事なのだ。軍人である自分たちには。
「じゃあ、どうしてそんなカオしてんですか」
繰り返し、言って。シンは、無遠慮にアスランの顔を覗き込んだ。
笑っていても、怒っていても、いつもの無表情でも。
なんでこの人の顔は、いつもこんなに景気が悪いのか。
シンには、それが不思議だった。
伝説のエースパイロットと言われて。
特務隊に配属されて、偉そうに命令して。
何が不満なんだ、この人は。
「・・・・・いや」
何かを逡巡するように目をそらしてから、アスランはもう一度、シンと目を合わせた。
子供の残酷さをいっぱいにたたえて、アスランを睨む赤い瞳。彼は。
「シン、お前は強い」
力を欲した少年は、個人が手に入れ得る最高の力を持ったと言っていい。
しかし。
「だから俺は、心配なんだ」
「何がです？」
自分の存在価値が？
言外に匂わせて嘲笑ったシンを、今度は誰にでもわかるほど苦しげに見つめ、アスランは言った。
「お前が、その力で、何か大切なものを壊してしまわないかと」
二年前の俺のように。
そうは言えず、アスランはきつく拳を握った。
「何言ってんですか」
心底わからない、という顔をして、シンは踵を返した。
格納庫から出る一瞬、振り返ったが、アスランはただ、セイバーを見上げているだけだった。
泣いているかと思ったのに。
何故かそう思って、首を傾げて。まあいいか、と、今度こそ廊下へ出た。
とりあえず褒めてたし、まあ、いいか。
シンを見ていると、まるで、昔の自分を見ているようだ。
己の正義を疑わず、人の言葉に耳を貸さず。
何の躊躇いもなく、敵と認識したものに刃を振り下ろし、その結果は成功か失敗かの二種類しか知らず。
その果てに、自分がしてしまったこと。
壊してしまったもの。
彼には、こんな思いはさせたくない。
「シン、やめろ！」
いつも言われていることだから、特に気にもせずシンは戦う。
「シン！！」
唐突に、右腕に予想外の衝撃があった。
素早く変形したセイバーのシールドが、振り下ろされたビームサーベルを受け止めて、歪む。
「収容所だ！民間人だぞ！」
今、破壊しようとした構造物を、スクリーンで確認する。
飛び出してきた男たち。
軍服ではない、ばらばらの服装。
恐怖に見開かれた、目、目、目・・・・
不意に警告音、ロックオンされたと思う間もなくとっさにシールドを掲げて建物ごと、守る。
セイバーのビームライフルが火を噴き、接近していたウィンダムが吹き飛んで、落ちた。
「行くぞ、シン！」
飛び立ったセイバーの後を追い、シンは先ほどの構造物を見下ろした。
攻撃の余波で、倒れた人々が見える。彼らは、死んだのだろうか。
シンに、確認することはできなかった。
ざっとパイロットと機体の状態を確認し、報告のために立ち去る上官の背中を眺め、シンは急に腹立たしくなって、整備用のクレーンに拳を打ちつけた。
畜生、なんだアレは。
理屈ではない。ただ、憤りだけがシンを満たす。
民間人を攻撃しようとした自分に腹が立っているのか、それを止めた偉そうなあいつに腹が立っているのか、それとも敵である地球軍に腹が立っているのか・・・それすらも、よくわからない。
「畜生、ちくしょうっ！」
「うわシン、やめろよ」
クレーンの側面のアルミがへこみ、整備に来たのヴィーノに止められた。
「シン」
たしなめるようなレイの声。
少し、堪える。
「・・・・・」
部屋に戻るレイについて歩き、シャワーを浴びて着替えをして。
それでも憤りは治まらず、壁に頭を打ち付ける。マユの携帯を開くことを思いついたが、手に取ったところで、止めた。
「ちっくしょう・・・・」
「シン、落ち着け」
「・・・・・っ」
悔しくなるほど落ち着いたレイの声に、それでもシンは歯噛みした。
落ち着けるものならば、とうに落ち着いている。
「なんで、あいつは・・・・」
「あいつ、というのはザラ隊長のことか」
「他にダレがいんだよっ！なんであいつ、いつもいつもっ・・・」
壁に拳を打ちつけたシンに、レイは至極真面目に言った。
「俺には、隊長がお前を全力で守ろうとしているように見える」
「は？」
唐突なレイの言葉に、シンは耳を疑う。
「俺やルナのこともきちんと見てはいるが、隊長があんなにかまうのはお前だけだ」
「なんで」
「知るか。ただ単に、お前が手がかかりすぎるからかも知れないが」
それきり興味を失った様に背を向けたレイは、しかしまた唐突に振り返り、ぼそりと言った。
「俺ではなく、隊長に聞け」
「・・・・そうする」
こんな気分では、休むことも出来ない。
制服を羽織って立ち上がったシンを見送り、レイはひとつ、ため息をついた。
勢い込んで行ったその人の部屋は、しかし、留守だった。
扉を蹴ってからそこを後にするが、落ち着かないのでコーヒーでも飲もうと遠回りすると、丁度医務室を出るアスランに出会った。
一度手放した心の準備は、すぐには戻って来ない。
「怪我でもしたんですか」
セイバーはたいして被弾もしていなかったはずだが。
「いや」
アスランはばつが悪そうに笑い、白い小さな紙袋を示して見せた。
「最近、少し眠れなくて。睡眠導入剤をもらっているんだ」
「・・・・・そんなのが隊長やってて、俺たち大丈夫なんですか」
「だめならそう言うさ。お前たちや、この艦みんなの命がかかっているんだから」
そう、あっさりと言って、じゃあな、と去っていこうとする人を、シンは慌てて呼び止めた。
「あ、あのっ、隊長っ」
「なんだ？」
「えっと・・・さっきの、戦闘のことで」
どう言っていいかわからずに困っていると、アスランは白い袋を持ったまま、
「コーヒーでも飲むか？」
とシンを誘った。
「はい」
頷いて、先を歩いて行った談話室で、サーバーから紙コップにコーヒーを注ぐ。
シンは砂糖とミルクをたっぷりと入れたが、アスランはブラックのままそれを口に運んだ。
大人なんだな、と思う。
二つしか違わないけど。
気が付くと、あのどうしようもない憤りは冷めていた。
アスランはシンの言葉を待っているのか、静かに隣でコーヒーを飲んでいる。
それは、ひどく穏やかな時間で。
居心地がよくて。
しかし、やがてコップの底が見えてしまい、シンはためらいがちに口を開いた。
「さっきの、あの、民間人の」
「ああ。止められてよかった。軍人ならば殺してもいいというわけでもないが・・・やはり、民間人はな」
「軍人ならいいでしょう」
「そんな理屈で殺されたいのか、お前は」
「・・・・・」
何故、この人には敵わないのだろう。
「前にも、言ったが」
手元のカップを見つめながら、今度はアスランが口を開いた。
「お前には、力がある。何かを守ることも・・・・壊すことも出来る、力だ」
ゆっくりと、カップをまわして。
「だから、使い方を誤るな。大切なものを、壊してからでは遅いから」
「あなたは壊したことがあるんですか」
問いは勝手に口をつき、それにアスランは人形のように頷いた。
「ああ」
乾いた、声。
「親友を、この手にかけた。偶然が重なって・・・いや、あいつが強かったからだな。キラは生きていたけれど」
表情のない、声。
「それでも、俺が壊したものは戻らない」
少し顔を上げて、シンを見た、翠の瞳。
鮮やかな色の中に、底のない淵を見て、シンは知らず、恐怖した。
怖い。
その底にあるものが、怖い。
「俺は、お前に俺のような過ちを犯して欲しくない。俺とお前は、とても似ているから。お前を見ていると、心配で、怖い」
怖いのはこっちだ。
そうは言えず、シンは唾を飲んだ。いつの間にか、コーヒーで潤したはずの口の中が乾ききっている。
「あなたと、俺は、違う」
精一杯の虚勢に、その人はふわりと笑った。
見たこともない笑みだった。
「ああ、そうだな」
言葉が、途切れて。
「お前は、強い。ちゃんと自分の道を、自分で選べる人間だ。だからこれは、俺の杞憂・・・いや、自己満足かもしれないが」
深い闇を抱く瞳から、透明な雫がはらりと落ちた。
シンはそれを呆然と見つめ、アスランは涙を乱暴に拭う。
「・・・・すまない。もう、戻る」
紙コップをダストボックスに放り込み、アスランは小さな紙袋を持って立ち上がる。
あれを飲んで、眠るのだろうか。
シンはぼんやりとそう思った。
いつも、無駄に大きく見える背中が、実はひどく細いのだと、そのとき、初めて気がついた。
「あ、レイに言われたの」
聞くの忘れた。
思い出して呟くが、聞かなくてもわかる気がした。
なんだか少し、悲しかった。